期待という重荷を背負わせていませんか?
2023/08/03
あなたは誰かに、「この人だったら私の思いに応えてくれるはず」と期待したことがないでしょうか。
上司が部下に「君だったら上手くできるはずだ」とか、親が子に「勉強のできる子に育ってほしい」とか、妻が夫に「いい夫、子ども達のいい父親でいてほしい」と望むこと。
これらは全て期待になります。
期待することが悪いことなわけではありませんが、人はいつでも期待に応えられるわけではありませんね。
相手はあなたの期待に応えるために存在しているわけではないので、あなたの期待通りにいかないことだってたくさんあります。
人は期待が外れた時、多かれ少なかれ残念な気持ちが湧いてきたり、期待通りに動いてくれなかった人への苛立ちがわいてきたりします。
つまり、人に期待をするということは、その期待した相手の言動や成果によって、あなたの機嫌や心の状態が左右されることを意味します。
そして、人に期待して生きることに慣れすぎると、自分で自分の機嫌をとることや精神的に安定して生きることが出来なくなってしまうのです。
期待されるということ
あなたは期待されると嬉しいでしょうか?
「あなたなら出来るよ!」と言われたら、期待に応えるために頑張らないとと思うことはありませんか?
もし、あなたがそのような状況の中で頑張り続けているのであれば、それは注意が必要です。
では次に、家庭の中で良い妻、良い夫、良い子、良い親であって欲しいと常に期待されていたらどうでしょう?
●疲れている時
●しんどい時
●忙しくて余裕がない時
●役割を脱いで素直な自分に戻りたい時
そのような時でも、良い人でいることや、自分の役割をきっちりこなすことを期待されたら、どう思うでしょうか?
実際にそのような状況におかれると、多くの人はだいぶしんどさを感じると思います。
それはそのはずです。
出来ない自分、良い人でいられない自分、頑張りたくない自分だっているのが自然ですから。
しかし、人の期待されることを嬉しいと感じる人は、相手をがっかりさせたくないという思いから、期待を重荷に感じながらも、頑張りすぎてしまうかもしれません。
そして、人の期待に応えられなかった時には、「自分には価値がない」と感じてしまうようになることもあります。
相手の期待通りに生きることは、相手のコントロール下に入ろうとし、相手が作り上げようとした偽りの自分を生きようとすることです。
あなたは、人の期待に応えるために生きているわけではありませんよね。
人の期待通りに生きなければ、価値がないわけでもありません。
そのため、「人の期待に応える生き方をすることが重要なわけではない」ことを覚えておきましょう。
期待ではなく信頼をおく
期待しないことが、まるで相手のことを何も思っていないように思えて、冷たく感じる人もいるかと思います。
そのように感じる場合は、信頼が欠けている可能性があります。
期待とは、当てにして心待ちにすること。
信頼とは、相手が持つ可能性や力を信じ、ただすべて相手に任せられるという気持ちを抱くことです。
ここで大切なのは、信頼は根本に相手がどのような選択をしても、それを受け入れるということです。
つまり、自分が相手にこうあって欲しいという欲を手放し、相手を全面的に尊重するということですね。
これは転んだ子どもを見守る親の在り方に似ています。
小さな子どもが上手く歩けず、転んでしまったとします。
その時親が、「この子は自分の力で立ち上がって歩こうとする力を持ってる」と思えれば、すぐには手を貸さず、子どもが自分で立ち上がることを見守ることが出来ます。
そして、子どもが自分から助けを求めれば、子どもの思いを尊重して助けることもします。
信頼しているから、何もしないということではないのですね。
私達は一人では生きていけず、それぞれがパズルのピースのように、補いあうことで生きています。
人のピースの形を自分に合うように無理に変えようとするのではなく、互いの形を尊重しながら、生きていくことが大切です。
そのためにも、人に期待するのではなく、人を信頼しながら生きるという姿勢を意識してみると良いですね。